DIARY :: AROUND THE CORNER :: 20120720001
リコーに観る「デミング経営哲学」と「ほんもの」(中編)

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マネジメント面・マーケティング面において、私のリコーに対する関心は、2つのブログ・エントリー『「GXR MOUNT A12」に込められたRICOHの心意気』『個人的「デミング博士の再発見・再評価」』と、コラム『日本におけるデミング博士の過去・現在、そして・・・』を書いた経緯から、次の3点に有ります。
【関心1】リコーが何故「GXR MOUNT A12」のような「ほんもの(authenticity)」と言える商品を企画・開発することができたのか
【関心2】その点に、リコーがデミング賞獲得に挑む過程で採り入れたであろう「デミング経営哲学」がどのように関わっているのか
【関心3】そのようなリコーとはどのような特徴を持った企業であるのか
ただし、その背景には、リコーに体現されているであろう「現代的かつ普遍的な成功要因」についての関心があります。そこで、前回から、【関心2(前編)】、【関心1(中編)】、【関心3(後編)】の順で考察しているところです。今回はその2回目ということで、中編として【関心1】について考えたいと思います。
■「ほんもの(authenticity)」とは
企業活動において「ほんもの(authenticity)」とは、J.H.ギルモア氏と B.J.パインII氏が、彼らに先行する複数の研究者の考察なども踏まえて現代の消費を動かす根底的要因として抽出した概念です。ギルモア氏・バイン氏は、共著『ほんもの』の冒頭において次のように主張しています。
サービス経済の出現により、価値ある経営分野として「品質」が生まれてきたように、
経験経済の台頭により、新しい経営知識が要求されるようになっている。
すなわち、今日、あらゆる組織は、
「ほんものをつくる(rendering authenticity)」ことを理解し、管理し、それに卓越することを学ばなければならない。
なぜなら、経験経済においては、ユーザー・顧客はそれが「ほんもの」かどうかで購入意思決定するからです。すなわち、そこでは、「ほんもの」という性質が、「経験」という経済価値に対するユーザー・顧客の判断基準(感性)となるわけです。

「authenticity」という概念は、元来は哲学において近代・現代の個人のアイデンティティに関わるものとして議論されてきた概念です。ですのでそう簡単に掴みきれるものではありませんが、ここでは(本書で参照されている哲学者などの著作に基づきつつ)、それを、私なりにやや強引に、(哲学的な用語ではなく)できるだけ一般的な用語を使って要約すると、次のようになります。
個人Aが、本来的な「自己定義」を指向し「自己実現」を成し遂げる時、そのような個人Aは「自己(=個人A)に誠実である」となる
「自己(=個人A)に誠実である」個人Aが、個人Bに「共感」を呼び起こすものである時、(*1)

個人Bにとっての個人Aは「他者(=個人B)に誠実である」となる
「自己(=個人A)に誠実である」かつ「他者(=個人B)に誠実である」ような個人Aは、
近代・現代における「個人」のアイデンティティの「理想」として「authenticity」となる。
以上が「authenticity」の成立条件となりますが、それを踏まえて、更に次のようにシンプルにまとめておきたいと思います。
「自己に誠実である」かつ「他者に誠実である」
ただし、留意すべきは、「authenticity」かどうかは、その当事者である「自己(=個人A)」に対して、各々の「他者(=個人B)」により各々に判断されるという点です。したがって、「authenticity」を目指す自己が、その本来的な「自己定義」を指向し「自己に誠実である」ことの実現を目指していく際には、その「自己定義」そのものが、本来的・本質的に、「他者」に「共感」を呼び起こすことに繋がる性質を含んでいる必要があることになります。ただし、それが「他者に媚びる」「他者におもねる」というものでは、第一義的には「自己に誠実である」とはならないため、「自己に誠実である」ことそのものが「他者に誠実である」こととイコールになるような「自己定義」「自己実現」プロセスが求められることになります。そして、そこに、「自己」と「他者」の分離を乗り越える「自己超越」への契機があり、それこそが「ほんもの」である、となるわけです。このような哲学的な認識が、ギルモア氏・バイン氏の言う「ほんものをつくる(rendering authenticity)」ことの本質的理解に他なりません。そして、それを踏まえた、彼らからの企業への提言としては、次のようになります。
個人は「authenticity」を指向しており、そのような個人に評価される(=選択・購入される)ためには、
企業も個人のように「authenticity」を指向する必要がある
つまり、企業(=上記における個人A)においては、対象となるユーザー・顧客をまず「個人(=上記における個人B)」として捉えて、上記のように「authenticity」を指向するという、現代の「個人」としてのユーザー・顧客のアイデンティティの在り方を認識した上で、企業は、ユーザー・顧客に「共感」を呼び起こすことに繋がる性質を企業理念などの「自己定義」の中に組み入れた上で、その「自己実現」としての具体化・具現化を目指す事業活動プロセスの遂行とその結果としての経済価値の提供によって、「自己に誠実である」イコール「他者に誠実である」ことになる、すなわち、「ほんもの」になる(「ほんもの」として認められる)、というロジックです。(*2)

「自己に誠実である」かつ「他者に誠実である」 と表現するとあまりにも当たり前過ぎるような印象ですが、実際の企業や提供される経済価値などについて考えると、それを実行するのは実際にはそう簡単なことではないことは明らかです。ブログ・エントリー『「GXR MOUNT A12」に込められたRICOHの心意気』において、私は、
日本企業から「夢」「野望」「熱意」「こだわり」「思い」「ワクワク感」のようなものを感じる製品が少なくなってきている中で、
この「GXR MOUNT A12」には、そのようなオーラのようなものが感じられてきます。
と書きましたが、まず「自己に誠実である」のでなければ「夢」などは生じるはずもありませんし、「自己に誠実である」と言えるとしても、それが自社の独善・自己満足などであれば「他者に誠実である」とはならず、そうした「夢」は(文字通り、自社の独善・自己満足として)ユーザー・顧客に共有されるものとなろうはずはありません。逆に、「自己に誠実」かつ「他者に誠実」である「ほんもの」であれば、「自己に誠実である」ことによりそこには「夢」が生じる可能性が有り、「他者に誠実である」ことにより、その「夢」を、自社だけでなく、ユーザー・顧客とも共感・共有することも可能となり得ます。つまり、「夢」などが感じらる製品が少なくなってきているとは、「ほんもの」に当てはまる製品・サービスが少なくなっているということであり、その理由は「ほんもの」を生み出すことがそう簡単なことではないためです(ですから、逆に「ほんもの」に価値が生じることになります)。また、何故、「夢」「野望」「熱意」「こだわり」「思い」「ワクワク感」のようなものが生じるのかを考えると、それは、「他者(この場合は、具体的には「競合他社」)」の模倣ではなく、「自己に誠実である」すなわち「自社にこだわる」ことにより生まれる「独自性・独創性」があるためです。ギルモア氏・バイン氏の言う「authenticity(ほんもの)」という概念には、このように、「fake」「copy」のような「にせもの」ではなく「original」であることが非常に重要であるというメッセージや、「originality」の重要性は誰もが認めるにしても、そのためには「自己に誠実である」という哲学が必要であるという核心的なメッセージが込められています。

この「authenticity」という言葉・概念は、芸術作品の真贋の判定の際に用いられるものでもあり、「fake」「copy」のような贋作・模造品は、単に詐欺的に経済的利益を目的にした「手段的(instrumental)」ものですから、そこから、対比的に、その正反対である、「真作」としての「original」やその先の「authenticity」が、それそのものが「目的」とされるような「自己目的的・自己充足的consummatory)」な性質をもつものであることが見えてきます。そして、そのような「質」こそが(品質管理においては、それは、まず最初に「企画品質」として定義されるものですが)、ブルーオーシャン戦略において「戦略キャンバス」上の「価値曲線」として視覚化される経済価値の本質 に他なりません。企業は、第一義的には経済主体であり、経済という視点においてはその活動は「手段的(instrumental)」なものとなりますが、一方、市場においてユーザーや顧客が求めているものは、当然に、企業の手段としての経済価値ではなく(市場環境面)、また、手段としての経済価値を目指すという企業行動に独自性は無く、右下がりの需要曲線に明示されているようにその先は同質化競争(レッドオーシャン)であることから(競争環境面)、そこに、市場環境面と競争環境面の両面において、脱「手段的」、すなわち、「自己目的的・自己充足的」追求の意義があります。つまり、現代においては、企業が経済的成果をあげるためには、逆説的に、「質」的な面での「自己目的的・自己充足的」追求が必要であり(=「自己に誠実である」)、それが、自社の独善や自己満足ではなく、ユーザー・顧客の満足・共感やそれを超えた感動を追求するものそのものである必要があるわけです(=「他者に誠実である」)。このようなロジックが、ここまで見てきたような「authenticity(ほんもの)」の経済的理解となります。ドラッカー博士は、現代経営学において学問上は主流となっているはずの事業の存続と繁栄のための必要最小限度の要件を充たす利潤追求概念 としての「最適利潤」という考え方を次のように捉えていますが、
(大意)「最適利潤」とは、現在及び将来における事業の創造・変革におけるリスクに対応するためのものであり「将来の費用」である
上記のような「authenticity(ほんもの)」の経済的理解も、利潤という目的のための手段として企業活動を捉えるのではなく、企業活動そのものの中に目的がありそれを支える手段として利潤を捉えるという点で、ドラッカー博士の理解に通じるものとなっています。さらに、それは、現代的な、「本業そのものが社会貢献」「本業こそが社会貢献」という考え方に繋がっていくものでもあります。

では「ほんもの」創造のためにはどうすれば良いのかということになりますが、できるだけ単純化し、できるだけ既存の用語での説明を試みると、ポイントは次のように言えます。
ユーザー・顧客と自社との間に、
ユーザー・顧客も自社も共に「共感」できる、もしくは、ユーザー・顧客も自社も共に重要な「価値」であると感じる
「質」的な「コンセプト(=自己定義)」を如何に見出せるか、そして、その実現・具体化にどこまで本気でこだわれるか
ここから、「ほんもの」という概念が、「自己定義」をどのような内容で設定するのかに大きく依拠している考え方であること、すなわち、「経営理念」や「ミッション」を重視する経営観・経営哲学・経営戦略手法に通じるものであることが見えてきます。というよりも、「ほんもの」という概念が、自明なものともされる「経営理念」や「ミッション」に対して、一つの哲学的基盤を与えるものであり、その必要性・正統性を説明するものであると言えます。日本のマーケティング界・マネジメント界においては、既に1990年代前半に「共感」「共創」というコンセプトが登場していましたが、ここまでの考察は、その背景となる原理であるとも言え、現代において、その意義を再考・再認識すべきであるものと思われます。
■リコーのカメラ事業の歴史的な流れ
上記「ほんもの」の定義において、リコーについて考える場合には、言うまでもなく、「自己」とはリコーのことであり、「他者」とは(「自己」であるリコーにとっての)ユーザーや顧客ということになります。そこで、「自己」としてのリコーのカメラ事業の現在を捉えるために、その歴史的な流れを抑えておきたいと思います。リコーのカメラ事業は、企業全体に対して売上規模としては相対的に小さく量的な貢献度は大きいとは言えないはずですが、その点も踏まえて、3代目(1976年〜1983年)社長の大植武士氏の時代においては、(1)技術開発の源泉、(2)企業ブランドの認知度向上 という戦略的位置づけがなされています(道田国雄氏著『会社大革命』より)。もちろん、これらには、創業初期において会社に飛躍をもたらした(3)創業者由来の事業の継承 という前提があります。また、(2)は、具体的には、リコーの主力事業が企業を対象としたOA製品(産業財)であることから、コンシューマー・グッズ(消費財)であるカメラ製品は、一般ユーザーに対して、自社製品との接触を通じてリコーという企業自体やブランドを知ってもらうための良い機会である、というものです。それが、具体的商品として、大植氏時代の「XR」(グッドデザイン賞受賞)、浜田氏時代(4代目社長)の「R1」「DC-1」、浜田氏〜桜井氏時代の「GR1」、桜井氏時代(5代目社長)の「GR DIGITAL」、近藤氏時代(現在の6代目社長)の「GXR」やペンタックス事業の買収などに展開していきます。

そのようなリコーのカメラ開発史の中で、ここで着目すべき1点目は、1994年に発売された「R1」という機種であり、リコーのカメラ製品の展開の歴史 から、私なりの観方としては、それまではメカ重視・モノ重視の開発思想であったのに対して、それ以降は、そこに、写り重視・コト重視という考え方が追加的に導入されているということです。当時を振り返ると、オートフォーカス一眼レフ全盛に対して、1990年前後から、一般ユーザーにおいて、「記念写真」のように、特別な「ハレ」の日に記憶・記録として写真を撮るというフォトスタイルだけではなく、現在のデジタル写真文化の隆盛の源流となるような「個人の日常的自己表現としての写真」というフォトスタイルが静かに拡がり、そのツールとしてのカメラやレンズに以下のような要素を重視するニーズが強まり、
(1)「製品」面での「個性」「愛着」
(2)「サービス(機能)」面での「写り(味・質)」
(3)「経験」面での「携帯性」「道具感」「使用感」
「コンタックスT2」に代表される高級コンパクトカメラや主に中古のクラシックカメラ(マニュアル操作の小型機械式カメラ)・レンズなどに対する関心が高まっていきます(それが、1990年代後半以降の「LOMO LC-A」のようなトイカメラブームへと繋がって行きます)。「R1」は、そうしたユーザーにおける潮流を踏まえた製品であると考えられ、マーケティング的には高級コンパクトカメラ的な品質(小型・薄型の形状、洗練されたスタイル、高質な写りなど)をより低価格で実現したものとして高い評価を受けます。それが名機とされる「GR1」へと繋がり、そのレンズ性能がプロカメラマンやハイアマチュアなどから高い評価を得たことから、レンズのみが ライカMマウント用交換レンズとして製品化される までに至ります。つまり、1990年前半頃に、リコーのカメラ開発において大きなパラダイムシフトがあり、その時に、技術面においては、機械面にこだわる従来の開発姿勢に加えて、光学面をより重視する開発思想光学面での高い性能を実現する能力 を獲得している、ということです。また、機械面では、「アイディアのリコー」的な開発姿勢が「コンパクト」性の実現にフォーカスされるようになっています(参照)。「光学面をより重視する開発思想」についてはマーケット由来ということでほぼ間違いないと思われますが、それを自らの価値観としても先駆的に内在化していたリコーの企画者・開発者の方はいらしたであろうはずです(マーケットのそうした動きは、新しい思考・感性を持つプランナーの方が、企画の社内審査を通す時に有利に働きますが、ここに意思決定する経営陣のマーケット観の優劣の差が、企業の商品力の差として表れてきます)。現在では、「GR DIGITAL」は「写り」にこだわったデジタル高級コンパクトカメラの先駆的製品としての地位を獲得しており、小型のユニット交換式カメラシステムである「GXR」用のカメラユニット「GR LENS A12 50mm F2.5 MACRO」「GR LENS A12 28mm」なども「写り」の面で高い評価を得るなど、リコーのカメラ・レンズの描写性能(画像処理等も含む)は高い評価を得るに至っているのは、ご存知の通りです。

次に、着目すべき2点目は、記憶に新しいところですが、2011年のペンタックス事業の買収ということになります。大植氏時代の銀塩用一眼レフ「XR」は、当時、既に一定市場を獲得していたペンタックス「Kマウント」を採用していますので、2012年4月に発足したペンタックスリコーイメージング株式会社において、両者が再び協力して事業展開することになっています。買収の真意はわかりませんが、リコーのカメラ事業の歴史において非常に大きな一手であることに間違いはなく、今までの流れと同一方向のままなのか、もしくは、方向転換があるのか、今後の展開が注目されるところです。(*3)

ということで、第1注目点である「R1」の開発から第2注目点であるペンタックス事業買収の前までは、アナログからデジタルへの移行を経つつも(その途中での停滞時期はありますが)ほぼ同じような流れの中にあると言うことができます。それは、特にデジタルカメラ時代においては、リコーのデジタルカメラ事業の「中興の祖」的な存在である湯浅一弘氏(元デジタルカメラ事業部門長・2011年秋退職)が掲げた「撮影領域の拡大」という理念の実現を目指して展開されています。(*4)湯浅氏は次のように語っておられますが、前者(発言1)からは「信念」「志」とも言える事業理念に対しての、後者(発言2)からは「顧客満足」「マーケット・オリエンテッド」に対しての強いこだわりが窺えます。
〜湯浅氏の発言1〜
カメラ部門を預かって以降、私が何かに貢献できたとすれば、「撮影領域の拡大」という目標を変えずに徹底したという一点だけ。
部門のメンバーには、「目標は念仏だと思ってくれ」と言っています。
信じて精進していけばきっと結果が出る、という意味です。
(日経エレクトロニクス 2009.9.7号「リコーのカメラが復活したわけ(最終回)」より)
〜湯浅氏の発言2〜
自分が考えた内容が、商品に盛り込まれて現れる。
それだけでもうれしいけど、商品を使った人が現実に喜んだり、便利だと感じたりしてくれる。
こういう喜びの連鎖がたまらなく好きだ。
(日経エレクトロニクス 2009.7.27号「リコーのカメラが復活したわけ(1)」より)
湯浅氏のリーダーシップによりリコーのデジタルカメラ事業が復活したことを考えると、これらは、氏個人のものであることを超えて、リコーのデジタルカメラ事業全体に共有されるものとなっているものと思われます。
■リコーのカメラ事業における「ほんもの」創造の構造・展開・戦略要因
このようなリコーのカメラ事業の歴史と冒頭で行った「ほんもの(authenticity)」についての本質的理解からは、
「撮影領域の拡大」という現在の事業理念が、「ほんもの」創造において鍵となる「自己定義」に相当するものである
ことがわかります。その上で、前回(前編)における【関心2】についての考察も踏まえて、【関心1】について考えると、
(1)「撮影領域の拡大」という、自社のカメラ事業の理念を確立している
(2)「R1」以降の流れと湯浅氏のリーダーシップから、「ユーザー・オリエンテッド」な開発思想を徹底している
(3)設計・製造の技術・体制を進化させている(*5)
という要因を抽出することができます。つまり、事業構造としては、(1)と(2)の掛け合わせから創造される企画品質を(3)により具現化する、ということになりますが、「ほんもの」という観点からは、 (1)は「自己」に由来する「質」であり(2)は「他者」に由来する「質」であることから、(1)由来の「質」と(2)由来の「質」が一致する、すなわち、
「撮影領域の拡大」という理念(自己定義)のもとで、
「(1)自分たちが作りたいもの・売りたいもの・作るべきもの・売るべきもの」と
「(2)ユーザーが求めているもの」を一致させるところで企画品質を構想し、具現化を目指す
ということになります。これを、デミング博士に由来する「PDSAサイクル」において考えると、(1)の「自己」に由来する「質」は「仮説(PLAN)」、(2)の「他者」に由来する「質」は「研究(STUDY)」、(3)は「実行(DO)」(試作やシミュレーション等も含む)に相当するものと捉えることができ、
「撮影領域の拡大」という理念(自己定義)のもとで、
(1)に由来する「質」としての「仮説(PLAN)」と(3)の「実行(DO)」を、
(2)に由来する「質」としての「研究(STUDY)」を踏まえて「修正(ACT)」し、
「仮説」「実行」の質的な発展・進化と精度の向上を目指す
というように理解することができます。その結果として、次のようなロジックにより「ほんもの」性が生成されることになります。
「撮影領域の拡大」という理念(自己定義)のもとで、
「自己」由来の「質」としての「仮説」が、「他者」由来の「質」としての「研究」を経て「修正」され、
その繰り返しにより、「自己」由来の「質」と「他者」由来の「質」が限りなく合致し、
そこに、「自己」に対して誠実であり、かつ、「他者」に対して誠実である「ほんもの」性が生成される
ただし、リコーのカメラ事業の場合は、流通業ではなく、耐久消費財が対象の製造業であるために、上記の構造を、市場化する前段階で達成する必要がある、という大きな条件が課されています。すなわち、この構造は、具体的な開発プロセスとしては、
「撮影領域の拡大」という理念(自己定義)のもとで、
ユーザー(=他者)の変化・進化にシンクロさせて、ユーザーとしての自分たち自身(=自己)も変化・進化しつつ(2)、
一方、作り手のプロ(=自己)として、さらにその先・その上の卓越性の実現(=ユーザーにとっての感動)を目指し(1)、
技術やノウハウ・知恵・思考を注ぎ込む(3)
というように展開される必要があるはずです。ただし、そこでは、
(1)については、自社の中にある何らかの信念のような価値基準・美学・理想が必要になるが、独善・押し付けは排する。
(2)については、「御用聞き」的なものではなく、深い「ユーザー理解」を目指すとともに、自らもシンクロしつつ変化・進化する。
ということが求められることになります。これらは、短期間での開発が要求される現代の開発現場においては、初期の企画品質の卓越性として要求される条件と言えます。

ここから、「ほんもの」創造のための戦略要因を抽出すると、
〜「ほんもの」創造のための戦略要因1〜
企業理念・事業理念として、自社内部にも顧客にも共有可能な、価値観・審美眼・美学・信念などの「質」的目的を有している
〜「ほんもの」創造のための戦略要因2〜
ユーザーに対しては、「量」的アプローチのような、普遍的・論理的・客観的アプローチだけでなく、
自らがユーザーの経験を疑似体験するような「質」的アプローチ、すなわち、身体的・経験的・主観的アプローチを採る
という帰結が導かれます。以上が結論となりますが、最後に、再び、前述の湯浅氏の発言について検証的に振り返っておきたいと思います。発言1は、概ね、「ほんもの」創造のための戦略要因1に対応しており、
〜湯浅氏の発言1(再掲)〜
カメラ部門を預かって以降、私が何かに貢献できたとすれば、「撮影領域の拡大」という目標を変えずに徹底したという一点だけ。
部門のメンバーには、「目標は念仏だと思ってくれ」と言っています。
信じて精進していけばきっと結果が出る、という意味です。
(日経エレクトロニクス 2009.9.7号「リコーのカメラが復活したわけ(最終回)」より)
それは、「ユーザー(=「他者」)」の写真経験を豊かにすることを「自社(=「自己」)」の理念に据えるという意味において、「ほんもの」性を指向するものとなっています。また、同様に、発言2は、概ね、「ほんもの」創造のための戦略要因2に対応しており、
〜湯浅氏の発言2(再掲)〜
自分が考えた内容が、商品に盛り込まれて現れる。
それだけでもうれしいけど、商品を使った人が現実に喜んだり、便利だと感じたりしてくれる。
こういう喜びの連鎖がたまらなく好きだ。
(日経エレクトロニクス 2009.7.27号「リコーのカメラが復活したわけ(1)」より)
この発言の中の前段は、リコーの創業者である市村清氏が提唱した「三愛」の理念の「勤めを愛す」に通じる考え方であり、後段は、「質」的に「顧客満足」「マーケット・オリエンテッド」を目指す考え方です。「勤めを愛す」とは「ほんもの」性における「自己」由来の「質」にこだわる姿勢であり、「(「質」的な)顧客満足」「(「質」的な)マーケット・オリエンテッド」は「他者」由来の「質」を導くものであり、その両者の合致を目指す湯浅氏の思考は、同様に、まさに「ほんもの」性を指向するものです。そして、繰り返しになりますが、そのリーダーシップの元で復活したリコーのデジタルカメラ事業部門においては、その考え方が広く共有されているであろうということです。

以上が、私のリコーに対する次のような3つの関心の中の、
【関心1】リコーが何故「GXR MOUNT A12」のような「ほんもの(authenticity)」と言える商品を企画・開発することができたのか
【関心2】その点に、リコーがデミング賞獲得に挑む過程で採り入れたであろう「デミング経営哲学」がどのように関わっているのか
【関心3】そのようなリコーとはどのような特徴を持った企業であるのか
【関心1】について私が得た現時点においての認識ということになります。

ということで、前回 の【関心2】、今回の【関心1】についての考察を踏まえて、次回は【関心3】について考えたいと思います。




*1:ここでは「共感」という言葉を使いましたが、それは元来の哲学由来の言葉ではなく、私なりの、わかり易さを優先しての用語選択です。哲学の文脈においては、この「本質的に自己を追求することから、独善や自己満足に陥らずに、他者や公的なものへと開かれていく」という論理がかなり込み入っているため、そこを他者からの評価・視点を共有する「共感」という言葉で代替しています。

*2:ユーザー・顧客を、消費者・生活者である前に、一人の「個人」として、すなわち、「人間」として捉える観方は、コトラー博士の提唱する「マーケティング3.0」と共通するものです。そして、よくよく考えると、ここでの「authenticity」の原理が、本質的には「マーケティング」の概念に非常に近いことが理解できます。

*3:デジカメinfo の2012年7月11日の記事『今後のペンタックスは一眼デジカメに特化する』(元記事は asahi.com)によると、ペンタックスリコーイメージングは、ペンタックスについては「コンパクトデジカメを将来廃止」「一眼デジカメに特化」「一眼はペンタックス、コンパクトはリコーのブランドに統一する」方向で検討中ということのようです。

*4:この点の詳細については、『「GXR MOUNT A12」に込められたRICOHの心意気』にて考察しています。

*5:この点は、日経エレクトロニクス『リコーのカメラが復活したわけ』や「GXR MOUNT A12」の開発経緯などに基づいています。日経エレクトロニクスの記事は、記事の抜粋であれば、以下のリンク先において読むことができます。
・2009年7月27日号『ドキュメンタリー リコーのカメラが復活したわけ(1)君が開発全体の責任者になれ
・2009年8月10日号『ドキュメンタリー リコーのカメラが復活したわけ(2)どんな問題でもおれのところに持ってこい
・2009年8月24日号『ドキュメンタリー リコーのカメラが復活したわけ(3)考え抜いてきたが、現実は甘くなかった
・2009年9月07日号『ドキュメンタリー リコーのカメラが復活したわけ(4)信じて精進すれば、きっと結果は出る』「GXR MOUNT A12」の開発経緯などにつきましては、『「GXR MOUNT A12」に込められたRICOHの心意気』にて考察しています。


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