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DIARY :: AROUND THE CORNER :: 20120719001
リコーに観る「デミング経営哲学」と「ほんもの」(前編)

DIARY :: AROUND THE CORNER :: 20120719001

マネジメント面・マーケティング面において、私のリコーに対する関心は、2つのブログ・エントリー『「GXR MOUNT A12」に込められたRICOHの心意気』『 個人的「デミング博士の再発見・再評価」』と、コラム『日本におけるデミング博士の過去・現在、そして・・・』を書いた経緯から、次の3点に有ります。
【関心1】リコーが何故「GXR MOUNT A12」のような「ほんもの(authenticity)」と言える商品を企画・開発することができたのか
【関心2】その点に、リコーがデミング賞獲得に挑む過程で採り入れたであろう「デミング経営哲学」がどのように関わっているのか
【関心3】そのようなリコーとはどのような特徴を持った企業であるのか
ただし、その背景には、リコーに体現されているであろう「現代的かつ普遍的な成功要因」についての関心があります。そこで、今回以降、【関心2(前編)】、【関心1(中編)】、【関心3(後編)】の順で考察してみたいと思います。ということで、まずは前編として【関心2】について考えます。
■デミング賞挑戦当時のリコー全体の特徴(「デミング経営哲学」との関連において)
リコーとデミング賞の関係については、それ自体をテーマにした、道田国雄氏著「会社大革命ーデミング賞に挑んだ3500日」という書籍(1979年に日本リクルートセンター出版部より出版)がありました。内容的には、リコーにおけるデミング賞への挑戦を、その決定を行った当時の社長(2代目)館林三喜男氏を中心にして、関係した社員の方々(実名で登場)による取り組みの様子を詳しくレポートするものです。(*1)実名での記載も当人の了承済みということ、出版当時の社長(3代目)大植武士氏のインタビューも掲載されていることから、基本的には、この書籍は、会社としてのリコーが暗黙的に公認していると考えるべきものであると思われます。また、出版元が日本リクルートセンター出版部ということも若干は考慮に入れる必要があるかもしれません。とは言うものの、私がこの書籍を読んで得たその当時のリコーのイメージは、『「GXR MOUNT A12」に込められたRICOHの心意気』で参照した多くの情報から得られていたイメージとかなり近い、というものであり、両者がオーバーラップするような印象さえ受けました。(*2)そういう意味で、上記のような点や多少の脚色はあり得るかもしれないという点を考慮したとしても、学生読者に対してマイナス印象を与え兼ねない事柄についての記述もあることなどから、本質的な部分では事実に即した記述がなされているとの心証を持っています。

以上を踏まえて、道田氏によるこの書籍に基づき、経営者としての館林氏に着目しつつ、現代経営に繋がると思われる重要な事実的特徴として次の3点をピックアップしました。(*3)■【事実1】リコーは「自社を質的に進化させるための手段」としてデミング賞獲得に挑んだリコーにおけるデミング賞獲得への挑戦は、「経営の神様」とまで呼ばれた創業者 市村清氏 の指名により2代目社長となった館林氏が、その創業者により確立された「アイディアのリコー」「販売のリコー」に加えて、「技術のリコー」を確立するという自らに課した使命を果たさんとする中で、そのための「手段」として選んだ選択であったようです。デミング賞への挑戦には各々の企業それぞれにおいて様々な意味合いがあったようですが、この時のリコーにおいては、それは「自社を質的に進化させるための手段」としての位置付けであったということです。この点について、館林氏は明確に次のように語っておられます。
私は社長就任以来一つ覚えのように「技術のリコー」への執念を燃やし主張し続けて参りました。
・・・
やはり技術のリコーなるものは、営々と内部で技術的な努力を重ねながら、いつの間にか自然発生的に外部から
「なるほどリコーは、技術のリコーに質的転化、質的飛躍を遂げた」と認められることが必要なのです。
もちろん、挑戦するからには「受賞」という結果を目指して会社全体として大きなエネルギーが注がれる必要がある、それは、つまり、個々の社員には通常の仕事に加えて別途大きな課題が課されることにもなるわけですが、リコーが、1990年代に再び「日本経営品質賞」獲得に挑戦していることを考えると、この時の経験は、会社としては、非常にポジティブなものとして評価されているものと考えられます。また、 次のような館林語録からは、(*4)
「自分自身のTQCを」
「一人一人がQCをやればいいのだ。それがTQCだ」
「みんながQCの指導者たれ、実践者たれ」
「QCと禅とは共通のものがある。自分の行動とはなれたら何の意味もない」
それが、前述の発言のように企業全体の「質的転化」「質的飛躍」を目指すものであると同時に、「企業は人なり」と言われるように、従業員一人一人の個人としての「質的転化」「質的飛躍」を促すものでもあったようです。また、その戦略は、「人財」を重視する、次の社長(3代目)大植武士氏へと受け継がれていったように見受けられます。■【事実2】リコーはデミング賞挑戦と事業部制への移行を同時並行的に進めたデミング賞受賞のためには膨大な準備が必要であり、「受賞」という結果を最優先するのであれば、デミング賞審査の直前では社内体制は弄らない方が準備面で容易な選択であるはずです。しかし、それにも関わらず、館林氏は、デミング賞審査を申請する前年の1974年に、商品群別事業部制への組織変革を断行しています。それには、当時リコーが主力の複写機市場における「ジアゾ式複写機」から「PPC(Plain Paper Copier、普通紙複写機)」への移行に苦戦していたという、実際の事業展開面での事情があったはずですが、それだけではなく、新たな組織体制において新たな仕事の進め方を構築していくにあたり、デミング賞獲得に向けた「品質」を重視する思考を業務プロセスに浸透させたい、それにより「技術のリコー」を確立させたい、という強い意図があったようです。その最も象徴的な出来事は、品質面について、本社の品質保証部門と事業部門でどちらにその決定権を置くのかということに関して、館林氏は品質保証部門の責任者に対して「大手を広げて事業部長の前に立ちはだかれ」と支援したということです。この点を、著者道田氏は「館林のデミング賞チャレンジの中でも、最も勇気ある決断と言っていいだろう」と評価しています。このような意思決定は、会社の存続に関わる売上・利益に責任を負う立場としての経営者において容易にできることではなく、それは館林氏が品質管理の考え方(=品質追求はコスト削減に繋がる)を論理的に理解していたからだけではなく、売上面・利益面という「量的」な経営目標の実現と共に、「技術のリコー」を確立するという「質的」な経営目標の実現に対する強い信念を抱いていたがゆえのことであろうと考えられます。館林氏は、社員一人一人に、中国の故事に由来する「学徳底(=物事を頭だけで理解している状態)」ではなく「見徳底(=物事を自分の体験として修得している状態)」を求めていましたが、自らも、企業戦略のレイヤーにおいて、「知行合一」「有言実行」的に、それを実践したことになります。■【事実3】リコーは「品質」を重視する新しい社内体制のもとで後に主力となる新商品開発を成功させた繰り返しになりますが、当時リコーは、主力の複写機市場における「PPC」への移行に苦慮していました。館林氏は、最重要経営課題とも言える「PPC」の新商品開発を、実績のある若手をリーダーに抜擢したプロジェクトに託し、それを「全社的に支援する体制」、すなわち、「全体最適」を目指す「協力」体制を構築します。その開発に対しては当時の市場の平均的商品に比べて品質面(Quality)とコスト面(Cost)で格段に高い目標と時間面(Delivery)で短期間での開発という厳しい条件が課されたわけですが(=「マーケット・イン」)、開発プロジェクトチームは、それを、(1)事実やデータを重視する設計開発(=「技術のリコー」)(2)「刺身状スケジュール」と呼ばれる、コンカレント・エンジニアリング的な開発プロセス(=「技術のリコー」)(*5)(3)用紙別カセットなどの、新しい発想(=「アイディアのリコー」)などでクリアします。また、そこに【事実2】のように品質重視の考え方で構築された新しい社内体制が製品の信頼性向上面で大きく貢献し(=「技術のリコー」)、結果的には、それがこの新商品の市場における評価を著しく高めることに繋がったとのことです。さらに、販売面でも、「「いかに売るか」から「企画開発の狙いを踏まえた販売、サービスの実現」へと考え方が180度変わった」と著者道田氏が書かれているように、マーケット・オリエンテッドの考え方に基づき、品質管理の本質である信頼獲得を目指すものへと大きな進化がありました(=新しい「販売のリコー」)。この新商品は「DT1200」という製品ですが、リコー関係者が「(「DT」シリーズの)開発に失敗していたらと思うとゾッとします」と回想しているように、約3年後の1978年度にはこのシリーズが全売上の60%弱を占めるにまで至っており、その後のリコーに大きな成長をもたらすものとなっています。そして、結果的には、リコーは、1975年に、見事にデミング賞実施賞を受賞することになります。ここでは、上記のようにピックアップした事実から、1975年頃のリコー(特に複写機事業)の成功要因として、【事実1〜3】のそれぞれに対応して、次のような【特徴1〜3】にまとめたいと思います。
【特徴1】「質」の飛躍・向上を目指す、トップのリーダーシップ
【特徴2】顧客からの信頼獲得を目指し、「質」を重視する開発思想・体制・運営
【特徴3】「協力」の論理に基づき「全体最適」を志向する「システム」的組織活動
リーダーシップについては、創業者市村氏由来、及び、館林氏自身の経営スタイルとして、元々強力であったとも言えますが、(*6)デミング賞受賞を目指した組織変革の中で生み出された、これらの【特徴1〜3】は、必然的に「デミング経営哲学」とオーバラップする内容となっています。(*7)
■現在のリコーのデジタルカメラ事業部門の特徴(「デミング経営哲学」との関連において)
そこで、これら【特徴1〜3】を、リコーの現在(正確には「GXR MOUNT A12」開発時まで)のデジタルカメラ事業において考えてみると、『「GXR MOUNT A12」に込められたRICOHの心意気』において参照した情報などから、次のような事実を挙げることができます。

◆【特徴1】「質」の飛躍・向上を目指す、トップのリーダーシップ
【特徴1に対する事実】リコーのデジタルカメラ事業を再生した湯浅一弘氏(元事業部門長・2011年秋に退職)のリーダーシップ
◆【特徴2】顧客からの信頼獲得を目指し、「質」を重視する開発思想・体制・運営
【特徴2に対する事実】レリーズ・タイム・ラグの短縮を目指した「Caplio RR30」などに見られる、ユーザー起点の企画・開発
【特徴2に対する事実】「GR DIGITAL」シリーズなどに見られる、長期的製品価値継続を指向するデザイン思想
【特徴2に対する事実】「GR DIGITAL」シリーズなどに見られる、バージョンアップ的な新製品開発手法
【特徴2に対する事実】「GXR」のスライドイン・マウントの開発における、物理的・心理的品質向上を目指した開発
【特徴2に対する事実】「GXR MOUNT A12」における、「ほんもの」を目指す製品企画・開発
◆【特徴3】「協力」の論理に基づき「全体最適」を志向する「システム」的組織活動
【特徴3に対する事実】組織(=システム)の目的としての「撮影領域の拡大」という中心コンセプトの存在
【特徴3に対する事実】製造を担当する外部企業も含めた「協力」体制・「全体最適」的関係性の創出
【特徴3に対する事実】他部門所属の社員も含めた有志がコンテンツを作成・投稿する「GR BLOG」
このようなことから、現在のリコーのデジタルカメラ事業においても、 概ね、デミング賞挑戦当時のリコー全体における特徴を備えているものと観ることができます。
■現在のリコーのデジタルカメラ事業部門の特徴の由来
リコーは、1995年に自社初のデジタルカメラ「DC-1」を発売し、一時は約20%のシェアを獲得しますが、市場動向の見誤りなどからその後ジリ貧の状態となってしまっていました。(*8)そのような状況にあった1998年に、デジタルカメラ事業部門に設計部門の長として配属された湯浅氏は、市場機会を逃さないための適時販売を目指した設計期間の短縮などに取り組み、2001年には、新商品企画の責任者として、世界最短のレリーズ・タイム・ラグを目指した「Caplio RR30」を設計期間を従来の半分以下に短縮しつつ結実させます。市場で一定の評価を得た「Caplio RR30」は、事業部門全体に自信をもたらし、その結束を固め、それが、2005年の「GR DIGITAL」の企画・開発、市場における高評価などへと繋がっていきます。こうした流れからは、「GR DIGITAL」シリーズの後に出された「GXR」という機種は、リコーのデジタルカメラ事業部門においては、「質」的に「ホップ(=Caplio RR30)・ステップ(=GR DIGITAL)・ジャンプ」の、「ジャンプ」に相当する機種であったとの観方ができます。(*9)

さて、そこで、デジタルカメラ事業部門における【特徴1〜3】の由来を考えると、次の3つの可能性が浮上します。
(1)湯浅氏が、元々デジタルカメラ事業部門に潜在化していた【特徴1〜3】を復活させた
(2)湯浅氏(その前は複写機事業部門に従事)が、複写機事業部門由来の【特徴1〜3】をカメラ事業部門に持ち込んだ
(3)湯浅氏が、氏個人の個性・姿勢として、独自に【特徴1〜3】を生み出した
とは言うものの、 これらの可能性は相互に排他的なものではなく、その割合が高いか低いかの違いはあったとしても、おそらくはそのどれもがある程度正解ということになる性質のものであろうと思われます。ただし、 その前提として、
【特徴1〜3】に親和的で、それらを促進するようなリコーの企業文化がある
つまり、仮にその起源が(3)湯浅氏個人に100%由来するとしても、そのような個性・姿勢を有する湯浅氏を採用・育成・配属したのはリコーという企業である、ということは言えるでしょう。

そして、企業文化としての【特徴1〜3】のような組織についての特徴は、1970年代前半から中半にかけてのデミング賞受賞への挑戦が契機となって生み出されたものであり、(1)結果としてはデミング賞受賞に繋がった、(2)当時の主力商品の開発を成功へ繋げた大きな要因ともなった、わけです。一般的に、企業における成功体験は継承されやすい(=企業文化となりやすい)ということを鑑みると、これらの特徴は、館林氏時代にリコーが創造・獲得した「経営・組織・思考原理」に由来すると考えることには、一定の合理性があるように思われます。
■結論
このような考察から、次のような結論を得ることができます。
【特徴1】「質」の飛躍・向上を目指す、トップのリーダーシップ
【特徴2】顧客からの信頼獲得を目指し、「質」を重視する開発思想・体制・運営
【特徴3】「協力」の論理に基づき「全体最適」を志向する「システム」的組織活動
という、リコーがデミング賞獲得に挑む過程で採り入れた「デミング経営哲学」に通じる「経営・組織・思考原理」は、
(1)湯浅氏が、元々デジタルカメラ事業部門に潜在化していた【特徴1〜3】を復活させた
(2)湯浅氏(その前は複写機事業部門に従事)が、複写機事業部門由来の【特徴1〜3】をカメラ事業部門に持ち込んだ
(3)湯浅氏が、氏個人の個性・姿勢として、独自に【特徴1〜3】を生み出した
という3つの可能性の総体として、および、その前提となるリコーの企業文化として、
リコーのデジタルカメラ事業部門の復活に貢献し、なおかつ、現在もそこで有効に機能している。
私の関心は「現代的なマネジメントやマーケティングとは如何にあるべきか」ということであり、その観点から、現在は、デミング博士由来の経営哲学(「デミング経営哲学」)に関心をもっているわけですが、今回はリコーのカメラ事業の復活の中にその特徴を観てそれらについて考えてみました。もちろん、その成功は現場で実際に企画・開発・製造・販売などに従事されている方々によるブレイクスルーの積み重ねによるものです。しかし、現場の方々のそうした営為を、時間面・空間面・意味面で有機的に連携化・統合化し、成長・進化を促し、「商品・サービス・経験」「事業」「企業」などの各レイヤーにおける結晶としての成功に繋げるためには、その背後にあるであろう、組織を有効に機能させるこのような自律的・原理的なものも不可欠であり、非常に重要であるはずです。コラム『日本におけるデミング博士の過去・現在、そして・・・』では、国内において「デミング経営哲学」が顧みられなくなっている現状について考察していますが、「リコーにおいてはそれが継承されていた」というのが今回の私の観方であり、そのような認識により、私自身においては、コラム『日本におけるデミング博士の〜』における段階から一歩前に大きく進むことができたものと捉えています。ただ、もし「リコーにはデミング経営哲学が生きている」ということであるとしても、それは私のような外部からの観方であり、リコーの内部においては、それは「デミング経営哲学」というより「リコー経営哲学」ということになると思いますし、実際その通りだと思います。(*10)


以上が、私のリコーに対する次のような3つの関心の中の、
【関心1】リコーが何故「GXR MOUNT A12」のような「ほんもの(authenticity)」と言える商品を企画・開発することができたのか
【関心2】その点に、リコーがデミング賞獲得に挑む過程で採り入れたであろう「デミング経営哲学」がどのように関わっているのか
【関心3】そのようなリコーとはどのような特徴を持った企業であるのか
【関心2】について私が得た現時点においての認識ということになります。

ということで、次回は【関心1(中編)】、次々回は【関心3(後編)】について考えたいと思います。




*1:道田氏によるこの書籍自体は、喩えとしては、かつてのNHKの人気番組「プロジェクトX」の新書版というか、この書籍(シリーズ)が時間軸において先であることから、コンセプト的にはそのオリジナル企画という感があるものです。

*2:道田氏の著作を読む前に、主に「GXR MOUNT A12」についてのブログエントリーを書く過程で抱いた「現在のリコー」のイメージと、道田氏の著作に描かれている、デミング賞挑戦当時の「過去のリコー」のイメージが非常に近いということが、当エントリーを書く切っ掛けであり、当エントリーの構成となっています。

*3:もちろん、多くの方々の大変な努力の積み重ねであるデミング賞挑戦への取り組みを、この3点にのみ集約できるものではないことは言うまでもありません。

*4:道田氏のこの著作には、館林氏が大いに悩み、その悩みの中から、組織変革の手段としてデミング賞挑戦への意思決定をした様子が記述されています。館林氏は、若くして禅の道に取り組まれるなど、自己に対して非常に厳しい方のようであり、その後を継いだ大植氏は、館林氏の人間性や経営について次のように語っておられます。
こうだと思ったらテコでも動きません。
明治人の気骨というものなのでしょう。
経営も同じで、決してふらついてはいません。
それに非常に人間を超越したようなところがあった。
禅をやっておられたからか、いつも一次元高いところから物をみていられる。
人間どう生きるべきか。
それは経営の中でも実現されるべきだ。
そういう考え方が徹底しておられました。
館林語録の中には、その一部分だけが切り取られて流通してしまい、誤解を招いているものもあるようですが、道田氏の著作を踏まえると、それは、単に言葉尻を表面的にとらえただけに過ぎないものであるように思われます。私においては、館林氏の本意は、氏自身の邪念の無い「見徳底」から発せられた「デミング賞ヘの挑戦はリコーが今後成長していくための『必然』である」というものであると理解しています。

*5:「刺身状スケジュール」とは、道田氏の記述によると(p.67)、
"R-10" プロジェクトは、設計、生産準備、技術試作、量産試作が刺身状に重なり合う異例のスケジュールで展開していく。
というもののことですから("R-10" とは「DT1200」の開発コードネーム)、現代的に言えば、コンカレント・エンジニアリング 的な取り組みであったと言えます。このような開発手法は、一般的には、富士ゼロックスが「FX-3500」という機種の開発時に用いた手法として「sashimi system」という呼称で知られています(「The New New Product Development Game(PDF)」)。しかしながら、「FX-3500」の発売が1978年、「DT1200」の発売が1975年2月であることから、「刺身」という呼称が用いられていたかどうかは別として(この呼称は道田氏が独自に使った可能性もありますので)、リコーの製品開発においては、このような開発手法が一足早く実践されていたようです。

*6:ただし、企業における「質」の改善においては、特にトップの強力なリーダーシップやコミットメントが必要されます。そのため、デミング博士は、目的達成のために、その点を個別企業に対するコンサルティングの受諾条件にしておられました。それは、「質」に関して非常に卓越しかつ厳格な感性・感受性・感覚を有しておられたスティーブ・ジョブズ氏が、アップル社を窮地のどん底から救い、そこから世界で最も優秀な企業にまで成長させた点にも観ることができます。そしてそれは、リコーのデジタルカメラ事業を復活へと導いた湯浅一弘氏にも観ることができます。おそらく、「質」とは、それに卓越しようと考えた場合には、数値化(物性値化)される以前に、トップを含めた組織のメンバーにそれこそ「質」的に共有される必要があるものであるようです。

*7:ここで挙げた特徴は、「質」を重視する組織において目指すべき方向性・指針であり、デミング博士自身の経営哲学に関する著作や他の研究者などの知見を参照することができる現代においては、ある程度、演繹的・理論的に考えることも可能であるはずです。つまり、現代の会社経営の実際としては、逆に、これらの特徴を如何に具体的に実践展開するのかが大きな課題となります。ただし、デミング賞挑戦当時のリコーにおいては、現代におけるような理論的整備はなされていなかったはずですから、館林氏を中心にして、品質管理の本質的志向性と自社の理念・現状・課題や市場環境・競争環境などを踏まえて、見徳底的に、個人・組織における思考・対話・実践の中から本文で見たような具体的な意思決定・行動が生み出されていったわけですから、それが如何に卓越したものであったのかと思わざるを得ません。また、それは、リコーに限らず、1970年代頃までに品質管理に取り組んだ多くの日本企業に共通するものであったであろうことを考えると、そのような日本企業が世界的に躍進したことには大きな必然性があったと捉えることができます。

*8:ここでの記述は、日経エレクトロニクスの連載記事『リコーのカメラが復活したわけ(1)〜(4)』を参照させていただいております(2009.7.27号2009.8.10号2009.8.24号2009.9.7号(リンク先は記事の一部のみ))。

*9:リコーのデジタルカメラ製品には、市場における顧客獲得という通常の狙いに加えて、自社のデジタルカメラ企画・開発体制を「質」的に進化させるという狙いも込められているように見受けられます。

*10:文章の繋がりや追記を整備するなど、若干加筆修正しました(2012年07月24日)。


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